380号 10月 表

  〘老壮講座 多様な価値観  〙

 岡山で開催された白駒妃登美さんの「志塾」で境野勝悟

氏の講義を受けました。氏は『日本のこころの教育』の著

者として有名な方ですが、東洋思想研究家、哲学者、作家、

教育者として企業家から主婦学生層の多様なジャンルの人

達を指導。現在八十五歳、パワフルに活動されています。

『老荘思想に学ぶ人間学』、難しいテーマですが、漫談

のような楽しい講義でした。氏がこのテーマの本を書いた

時は六十歳。当代随一の歴史学者会田雄次氏(京大)に巻頭

言を依頼、その時「難しいことを分かりやすく書いている

君の本は素晴らしい。「君はよい目をしている、たくさん

本を書きたまえ」と賞賛され、以来二十六冊書いたのです。

 氏は若い頃、名門高校には入れず、当時県下でも最低レ

ベルと言われた私立高校へ入学。勉強しない「柿泥棒仲間」

と称する悪友達との思い出を講義で話されました。

 軟派組のA君。どうしたら女の子にもてるかを研究した

結果、うまい珈琲を飲ませるとよいことに気付き、以来珈

琲の研究。やがて美味しい珈琲を求めて世界中を旅するよ

うになり、そこで大手が相手にしない小さな珈琲農園の美

味しい珈琲を見つけて契約し、日本に帰って美味しい珈琲

を扱う会社を設立。彼は有名なキー珈琲を作った人。

また、映画の好きなH君。やがて作り上げたプロダクシ

ョンが「ホリプロ」。境野氏自身は当時恋愛小説ばかり読  

んでいたそうです。なぜそうしたのかというと「この顔だ

から全然もてなくて、仕方ないから本を読んでいた」(笑い)

現在、氏の源氏物語教室は大好評ですが、恋愛小説ばか

り読んでいたことが役立ったとか。その後発奮して早稲田

に入り、名門栄光学園(鎌倉市)の国語教師に就任。受験校

で東大入学者を増やすために奮闘していましたが、エリー

トの心が育たないことに疑問を抱き、四十歳で退職して

「心塾」を作り若者の心身の教育に当たられたのです。

長い人生にはいろいろなことがある。若い頃勉強しなく

てもその後活躍している人がいる。反対に猛勉強して東大

を出ていても、うだつの上がらない人もたくさんいる。

「道の道とすべきは常の道に非ず、名の名とすべきは常の

名に非ず。名無し、天地の始めに、名有るは、万物の母・

・」良い悪いの世間の価値観など当てにならぬもの。

固定観念で判断してはいけない。

モラロジーは品性向上を目指す学問です。幸せに正しく

生きる人の道を説く人間学ですが、それ故に未熟な私達に

とっては肩に力が入り、学ぶ程に責める心が強なる場合が

あります。老子は「人間の悩みは世間の価値観に振り回さ

れることに始まる。また世間の善悪の考えの狭間にのめり

込むところから始まる」といいます。

モラロジー創設の広池千九郎は「意なく必なく固なく我

なし」「温情春の如く、善人敬い慕う」と安心平和な心

「中庸」「慈愛」争わない生き方を説いています。晩年の

博士の心境は「なるよう、いくよう、天然自然」でした。

境野氏の著書『老荘思想に学ぶ人間学』(絶版)、会田氏

が絶賛された言葉が気になって図書館で借りました。

なるほど誰にでも分かる例を出して実に楽しい内容。

私は初めて老荘思想というものに納得し感動しました。

 老荘思想は理想郷でのんびりと生きる教え、厳しい現実

の中で懸命に生きる儒教思想とは真逆なようで実は両者の

究極は同じだそうですが、孔子は「老子にはかなわない」

と言ったそうです。両者の究極は「無私」「中庸」です。

境野氏は「世の中が右肩上がりの時は論語が必要。しか

し下り坂の時にはむしろ老荘思想が必要。頑張って生きて

きた人達、中年からはこの考え方が必要」と言われます。

いや、今生きることに猛烈に頑張っている人、仕事でも、

子育てでも、時には肩の力を抜いて、少しリラックスして

考えてみるのも必要です。

九月一日は子供の自殺が一番多いと報じられています。

頑張れ頑張れといつも追い詰められている子供達にも

「いい加減」と「楽しい人生を生きる導き」が必要でし

ょう。人はいつも頑張れない、人の期待に応えられない。

手軽なところで『老子・荘子の言葉百選』~心がほっと

するヒント~が境野勝悟著(三笠書房・五三三円)があります。

 境野氏の代表作『日本の心の教育』は岩手県花巻東高校

の七百人の生徒に語った内容です。この話を聞いた生徒た

ちはその日から自分に自信を取り戻し、以来町の人たちに

尊敬される高校に変わったと聞いています。

なんと、堺野氏の父君はかつてモラロジーを勉強されて

いたことが『利久と芭蕉』(絶版)の本にあり、感嘆しました。

🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼

【名所案内】 〘 和気閑谷学校 〙

 岡山県備前市和気に和気閑谷学校があります。

江戸時代初め一六七〇年、岡山城主池田光政の命によ

って作られた日本最古の庶民の為の学校です。優秀な

人材を輩出するために作られた日本最古の公立学校で

す。廃藩置県でいったんは国の物になりましたが、か

つてこの学校で学んだ人達が、国に交渉して地元に取

り戻し、今も使用されています。建物がそのまま使わ

れる、それは大変珍しい事だそうです。現在は県の所

有。講堂は国宝、その他ほとんどが重要文化財。日本

遺産第一号で、世界遺産登録の運動が行われています。

一般の研修は研修用の新しい建物の中でします。国

宝の講堂では見学や論語の講義が開催されます。

県内の小学生は必ず、中、高校生も何回かここで研

修を受けます。このように国宝にもなっている建物で

研修が受けられるというのはここだけの珍しい話です。

 私は白駒妃登美さん主催の「志塾」の研修が閑谷学

校であったので参加しました。和気は津山から約一時

間。和気神社にある藤祭や鵜飼谷温泉等にはよく行く

のですが、閑谷学校は初めて。奥まったところにある

ので道に迷いながら行きました。歴史を感じる素晴ら

しい建物がたくさんあり感動しました。国宝の講堂は

これまた実によく考えられた素晴らしい建築方法。

学校の中にあるたくさんの木々や花々は四季折々の

風情で楽しませてくれます。特に紅葉の頃の、ライト

アップが見事だそうです。

 

【生活百科】 〘花便り ゼラニュウム 〙

 昨年スイスに行ったとき、家々の窓やゼラニュウム

の花の鉢が並べてあるのに驚きました。ホテルのどの

窓にも置かれていました。聞けば虫よけ。これが国の

政策とか。日本に帰ってゼラニュウムを育てました。

ゼラニュウムは挿し芽で簡単に増やすことが出来ます。

いろいろな色の花の茎を切って土に挿し増やしました。

津山の冬は寒いので外では冬越しできません。といっ

ても我が家は室内には置けません。そこでビニール袋

をかぶせ(二重三重に)、花壇もビニールで全体を覆っ

(二~三重に)簡易温室を作り、大事に育てました。

 どの花も見事冬を越して青々とした葉で春を迎え、

そして暑い夏も弱ることなく育ちました。水やりが少

ないのも楽です。道行く人に楽しんでいただけるよう

に塀の前に鉢をずらりと並べました。夏の間に剪定を

しましたから、これからまた花が綺麗に咲きます。

《ゼラニュウムの花言葉》「尊敬」「信頼」「真の友情」


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# by nizicanvas3 | 2017-09-27 21:51 | まんりょう

380号 10月

【先人偉人に学ぶ】〘 戦火のマエストロ近衛秀麿 〙

 戦争というものはいつの時代もどこの国も悲惨だ。先の

戦争でも一般の人達まで爆撃でたくさんの犠牲者が出て憤

りを感じていたが、『太陽の草原を駆けぬけて』(ウーリー・

オルレブ著)の本を読んで、日本はまだましだと思ってしま

った。なぜなら自分の国のどこかでは安心して暮らせたか

ら。その本の主人公は五歳の子供。ポーランドで暮らして

いたが、父親が戦地に行った後、母親と四人の子供達はソ

連領のカザフスタンへ疎開した。戦争は終わり父親はソ連

で粛清され、家族はドイツ、フランス、そしてイスラエル

へ逃げた。母はユダヤ人だった。ユダヤ人はユダヤ人であ

ると言うだけで住んでいる国を追われ、逃げるか、残酷な

収容所送り。名前を変え、声を潜めて逃げ回る、行き場の

ない彼らの悲惨な姿に胸のつぶれる思いがした。

 そんなユダヤ人を救った日本人で有名なのがリトアニア

のカウナス領事館の外交官の杉浦千畝。杉浦からやっとビ

ザをもらえた六千人のユダヤ人達はシベリア鉄道に乗って

日本を経由してアメリカに渡ろうとしていた。しかしその

逃避行はとても過酷なもの、彼らが日本に渡れるように手

伝った日本人たちが次々といた。ウラジオストックから日

本への船に乗せる援助をした根井三郎達。そして日本の敦

賀に到着したユダヤ人達を温かく迎えた敦賀の人達。アメ

リカに届けるために力になった日本人達。まだある。その

数年前満州から上海経由でアメリカに逃げる一万人のユダ

ヤ人を救ったのが軍人樋口季一郎。許可を出したのが東条

英機。そしてまた最近そんな日本人を新たに知った。その

人の名は近衛秀麿。ドイツで音楽活動をしていた人。なん

と兄が元総理の近衛文麿。『近衛秀麿~ユダヤ人を救った

A級戦犯の弟』としてテレビで放映された。

マエストロとはイタリア語で芸術の大家、巨匠。大音楽

家、名指揮者という意味があり、この場合は名指揮者が最

もふさわしいかもしれない。戦前は世界的に有名な指揮者

として活躍した人。ベルリン・フィル楽団を初めて指揮し

た日本人として有名な方らしい。日本初のプロオーケスト

ラを結成。その後新交響楽団(NHK交響楽団)を作り上げた。

 近衛家は藤原鎌足を祖とする公家の家柄。藤原家は鎌倉

以後「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」を姓にして

「摂関家」、近衛家はその筆頭に座して、代々皇居の雅楽

を司る芸術と深いかかわりのある家柄。

しかし秀麿は子供の頃から家柄やしきたりに縛られる

ことを嫌い、そこから脱却するために「何か秀でること」

「自分しかできないことをしよう」と心に決めていた。

四十歳で亡くなった父は日本の教育と政治に生涯を捧げた

人だが、息子たちには「男はただ食って寝て死ぬだけの

一生を送っては天道さまに申し訳ない」と言っていた。

天衣無縫、優雅独尊の自由人の秀麿は音楽を志した。時代に

逆行する前途は多難であったが、兄文麿が全面的な応援をし

てくれた。山田耕作等にも師事はしたが、ほとんど独学の秀

麿の音楽が世界を驚かせるほどの指揮者としての実力者にな

れたのはすべての楽譜を自分で書き写す事だったという。

応援者に恵まれて世界的指揮者として花開くかと思った矢先、

ドイツはヒトラー政権が樹立。戦火によって会場は倒壊。

楽団員は戦場へ。ユダヤ系の多くの音楽家は強制収容所へ。

そんな中、秀麿はドイツで自らオーケストラを結成し演奏会

を開催した。なんとそのオーケストラにはユダヤ人がいた。

正式な記録には残されていないが、秀麿は「親独」を装って

ユダヤ人を救出していたということがかなり後、世界のあち

らこちらから秀麿に対する感謝の手紙が出て来てわかったと

いう。「近衛さんがいなければ今とは別な人生を歩んでいた」

「命を救ってくれたあなたの行為は決して忘れることはでき

ない」・・(複雑な世界情勢、長い間その話は伏せられていた)

戦後出版した秀麿の本『風雪夜話』に「ユダヤ人に関する

限りはナチスドイツ政府のすることは絶対に協調できない。

そこで純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人

の国外脱出を援助すべきことを決意した」と書かれている。

なんとヒトラーのお膝元で大胆な事をしたものだ!

なぜ厳しいヒトラー政権下でそのようなことができたの

か。実はヒトラーは大の音楽好き。ところが著名な音楽家

はほとんどがユダヤ人。最初の頃はそれでも著名な音楽家

に対してナチスは少しは寛大であったらしい。

ユダヤ人救出活動は第一期はユダヤ人音楽家を日本に招

きそのまま日本へ亡命、あるいはアメリカへ亡命。

第二期はユダヤ人の私財を亡命先に移送し、ドイツからの

脱出を支援。第三期は自身の演奏会、私設オーケストラを

利用して外国へ逃がす。という具合であったらしい。

秀麿によって優秀な音楽家がたくさん救われた。「私達が

ナチの弾圧に困っているといつも近衛がやってきて助けて

くれた」「外貨移送を仲介するものは同じユダヤ人であって

も油断できない。大勢の仲間が財産を持ち逃げされている。

しかし私達には近衛がいるから仲介者の必要はない」

 有名な音楽家ハインリヒも秀麿に感謝している「収容所

から逃れることはできなかったが、かろうじて最悪を免れ

たのは秀麿のおかげだ」という意味の手紙を残している。

 しかしドイツ敗戦後、反対に秀麿もアイスレーベンの収

容所に捕虜として送られ、死ぬも地獄、生きるも地獄の過

酷な体験もしている。戦時下で音楽を通して人道活動に生

きた秀麿の姿は爽快だ。以上は長年秀麿を研究してきた菅

野冬樹氏の『戦火のマエストロ 近衛秀麿』を参考にした。

  

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 〘 幸せの国ブータンの歴史 〙

 数年前「幸福度の高い国ブータン」と言われるこ

と私は怪訝な気持ちでした。そこでブータンがどん

な国か知りたいと思っていました。熊谷誠慈編著

の『ブータン』(創元社)を手にしたので紹介します。

ブータンはヒマラヤ山脈の南麓、中国やインドに

はさまれた九州程の大きさの王国。チベット系、ネ

パール系の人も多く民族、言語、文化も多様です。

人口はわずか七十万人ですが、多種多様な気候風土

で訪れる人を飽きさせない観光国だそうです。

 ブータンはチベット文化圏の一地域に過ぎなかっ

たのですが、十七世紀、チベット仏教の諸派の中の

ドゥク派政権のシャプドゥンによって統一国家が誕

生しましたが、晩年摂政と大僧正の三者での聖俗骨

化運営体制が続いています。しかし十八世紀以降イ

ギリスとインドの影響を受けています。

 十九世紀半ばにはイギリスと戦いましたが、この

大国にはとても勝てないことを痛感し、以後周辺諸

国との戦争をやめ、その方針が初代国王(ウゲン・

ワンチュク)に引き継がれました。初代国王は宗教

教育と世俗教育に力を入れました。イギリス政府に

従うことになっていたブータンはその後イギリスか

ら独立したインド政府に従うはめになります。

インドとの結びつきを強め、インドから経済援助

を受けるという関係です。(二〇〇七年に外交干渉条項

撤廃)三代目国王(二十年間在位)は「近代ブータン

の父」と呼ばれる程ブータンの近代化に力を注ぎ、

それが現在のブータンの礎になっているそうです。

一九七二年に三代目国王が急死。十六歳の皇太子

が四代目として即位。複雑な国際関係の中、国の独

立を維持するために難しい舵取りをしなければなり

ませんでした。インドと中国の紛争、自国から逃げ

てきたチベット人やネパール人難民問題。異民族と

のさまざまな諍いを乗り越えなければならないブー

タンは決して楽園ではなかったのです。

しかし、そんな中でも四代目国王は一九七〇年代に

「国民総幸福量」という概念を提唱したのです。経済

規模も小さく地下資源も貧しいブータンにとって

「国民総幸福」「幸せをめざす国」としてブランドイ

メージを高める武器にしようとしたのです。現在は五

代目国王(数年前夫婦で来日)。「国民総幸福」という概

念は長い苦難の道のりがあってできたことを知りまし

たが、国が文明化するほど厳しいようです。四方を海

に囲まれ、海に守られた日本の幸福度を強く感じます。


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# by nizicanvas3 | 2017-09-27 21:43 | まんりょう

№379 9月号  表記事

     〘 自他を元気にする力 〙

「今日の愛子先生とても生き生きして素敵だったわ」と

参加者の声。九十一歳の母は津山事務所での女性クラブ

の行事に月数回は参加している。最近会話にとても勢い

があるので止めていた当番をお願いしたが、参加者の一

人として参加するより当番者として参加する方が力強さ

と顔の輝きと美しさが大だったと皆さんから称賛の声。

 健康の秘訣は食事、運動はもちろんだが、生きがいが

あることと人との交流も絶対に欠かせないこと。

人は好きな事ができる、自分が役に立つ事ができる、

役割があるという事は何歳になっても自分を奮い立たせ

ることができるということを改めて実感した。

勉強好きな母はいつも本を読んだり、会に参加して、

自分磨きを欠かさない。しかし自分の為の研鑽は今一つ

パワーが生まれないようだ。だが、この学びが誰かに聞

いてもらえる、誰かの役に立つと思った時、学びに意欲

が湧くようだ。そして人前に出るということはお洒落心

も蘇る。女性にとって美の力はこれまた特に大きい。顔

にも全身にも輝きとパワーが漲る。

 愛知県岡崎市の助産師の大橋縁さん九十三歳。一人暮

らしで未だ現役、自宅で母乳指導教室をされている。

育児に困ったお母さん達が救いを求めて指導を受けに来

る。時々ダウンされるが、お母さんたちを「放っておけ

ない」の使命感からいつも力強く復帰されている。

私は大橋先生と『抱かれる子供は良い子に育つ』の著

者整形外科医の石田勝正先生の御縁で出会い、私の著書

の子育てシリーズの本を未だに利用、PRして下さって

いる有難い方。お友達感覚でお付き合いをさせて頂いて

いるが、その強い使命感には心から敬服している。

 九十三歳ですでに亡くなられたが、古典作家の清川妙

先生も夫や息子の死等の苦難を「古典があったから乗り

越えることができた」と最後まで生き生きと講義、執筆

されていた。八十歳と九十才の時、私達の講演会に津山

に来られたが、一人で颯爽と動く姿に感心した。

 世の中には九十歳過ぎて心身共に生き生きと過ごされ

ている人が結構多いことが分かった。

皆さん「したいことがある」「喜んでもらえる事がある」

「必要とされることがある」という人達。仕事、趣味、

それらは生き生き生きる活力の源になっている。

サークルでウクレレ指導の粉川さん(七十一歳)は演奏活動に忙しい。「この頃い

ろんなところで頼まれるんです」と嬉々としている。(すべてボランティアだが)

八十歳を過ぎた私の叔父も定年退職後、好きな歌や手品や楽しいトーク等で地域

の慰労活動に大人気。地域から必要とされている人だ。

 津山事務所の元代表世話人の田村さん(八十一才)は事

務所サークルで墨絵の指導。たくさんの人が集まって

くる。他にもそんな方がまわりにはたくさんいる。

皆さんプロではない、趣味の延長。芸事にしろ、

学問にしろ、何事も一朝一夕に身に付くものではない。

長い間こつこつと積み上げてきたものがものになる。

 どんな時も遅すぎることはない。年を重ねたときの為

に自分を慰め、勇気づけ、楽しませるための自分育てを

始めよう。しかも、楽しめるものは一つではなく、いろ

いろとあった方が都合がよい。体の具合、時、場所で自

他を楽しませる引き出しをたくさんもっていた方がよい。

 私も「六十の手習い」で始めた三味線が十年になる。

子供の頃からつかず離れずのお箏も復活して、休まず続

けている。いつか自他の喜びに役立つかもしれない。

そうはいっても、いつか自分をすら楽め

られない時がくるかもしれないけど・・・。

  🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰

感謝したい!

 平成20年の文部科学省の調査によると、家で手伝いをしている子供の割合は、

小学生で28%、中学生で18%という結果が出ています。

~略~親が「そんな暇があったら勉強しなさい」と言って手伝いをさせな

い場合が多いようです。

 教育問題に取り組んだ渡部昇一氏は著書『人間らしさの構造』において、

「感謝したいという欲求は食欲、性欲、集団欲に近いレベルである。

根源的な欲求を押し込めてしまってはそれより末梢的な学習

要求が出るはずがない」と述べています。

それはすべての子供達に「親に感謝したい」という気持ちがあるという事です。

手伝いを通して子供は感謝の大変さを知り、親の有難さに感謝することができます。

「勉強さえしていればいいという考えで子供からその機会を奪ってしまってはいけ

ません。他者のために尽くし、感謝するとを知った子供は自分を大事にし、責任を

もって人生を生きることが出来るのです。

     月刊『朝礼』誌8月号より

 🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰🌰

《 御陵参拝の紹介 》

 七月初め、第三十一代用明天皇と第三十三代推古天皇

の御陵参拝に参加しました。御陵参拝は参陵会の主催で

(御陵参拝を目的として昭和四十七年設立され、事務局は日本植

生株式会社内)毎年一回開催。今回で六十五回目です。

 用明天皇と推古天皇陵は奈良県南河内郡太子町の春日

と山田にあります。私は過去幾つかの御陵に参拝させて

いただきました。御陵は宮内庁の管轄で、

いずれの御陵も大変綺麗に整備されています。

 民家や田畑の中にある墳丘(上に土あるいは石を積み重ね

て丘のような形)には木がしっかり生えて森のような姿に

なっている御陵に恭しく参拝させていただき、

遠い昔を偲び、感慨深い思いになりました。

今回は特に最近詳しく勉強した聖徳太子に縁の深い方

の参拝で楽しみでした。用明天皇は太子の父であり、推

古天皇は叔母です。そして太子は推古天皇の時摂政とし

て活躍しています。聖徳太子のお墓も同じ太子町です。

(聖徳太子についてはまんりょう五月号に詳しく掲載)

 御陵参拝の後は美味しい食事、そして当地の名所観光。

今回は聖徳太子ゆかりのお寺、法隆寺と薬師寺を参拝し

ました。観光もついているので楽しみも二倍です。

    🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼

【生活百科】〘食便り モロヘイヤ 〙

 モロヘイヤ、もうお馴染みの夏の貴重な青菜が、

私は今まで一度も食べたことがありません。しかし

「食べている、美味しい」という声も多く、今年初め

て畑に植えたモロヘイヤをやっと食べてみました。

美味しい!暑い真夏に手間いらず、いくらでも収穫で

きる便利な野菜。エゴマと共に来年も植えようと思い

ます。遅まきながらモロヘイヤを紹介します。
 モロヘイヤはエジプト等で古くから食べられている

野菜で、紫蘇のように大きく育つ葉を摘んで収穫

栄養と効果
 モロヘイヤの葉には、βカロチン・ビタミンB1

B2CEそしてカルシウム・鉄・カリウム等の豊富

な栄養を含み、ガン・高血圧・動脈硬化・心臓病・貧

血・便秘・アトピー皮膚炎・ぜんそくに効果がある。

食べ方
 おひたし、和え物、油炒め、煮物、みそ汁。カレー。

納豆には一番合う。ポン酢が合う。必ず湯がくこと

生葉は毒性があるとか。冷凍保存も可能。


【生活百科】 〘花便り ケイトウの花 〙

 昔からどこにでもあるケイトウの花。鮮やかな真っ

赤な色に心が踊らされます。種が落ちて毎年生えてい

るとその鮮やかさは消え、あの魅力は失せます。それ

でも雑草よりましとそのまま育てていますが、よく見

ると愛らしい。脇から出る枝に咲く小さな花その姿が

いじらしい。コンクリートの間でも生えてくる逞し

さ、暑さに耐えて懸命に咲く様子に敬服です。でも来

年は新しい種であの鮮やかな赤を咲かせよう。

〈花言葉〉 おしゃれ 気取り 風変り

    〘 アメリカンブルー 〙

 大好きな花、もう長い年必ず庭に植えています。背は

低いけど大きく広がり、小さなブルーの小花が咲き誇る

ととても華やかですが、優しいブルーに癒されます。

朝顔に似た二㎝程の可愛い花。夏の初めから霜が降るま

で長く咲きます。大変強い花で、草除けとしても役立ちます。

〈花言葉〉 あふれる思い。清潔、清涼感、ふたりの絆。

   なんとロマンチックなんでしょう!


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# by nizicanvas3 | 2017-08-30 15:50 | まんりょう

9月号 裏面の記事

【先人、偉人に学ぶ】〘 世界を動かす女性の力 〙

 れいろう八月号の「なでしこ日本史(白駒妃登美さん

の記事)では原爆投下の三日後の広島の街に市電を走ら

せた女学生が紹介されていました。若き女性達があの

惨状の中、よくぞ市電を走らせたことだと只々感動!

樺太南部西海岸の真岡町に終戦五日後の八月二十日、

突然ソ連兵が真岡町を襲ってきた。九人の真岡の女子

電話交換手達は島民を守る為に最後まで交換台を離れ

ず職務を全うし、ソ連兵が局の軒下まで来たとき、も

う逃げられないと悟った乙女達は「これが最後の連絡

です。さようなら」と叫んで服毒自殺をして全滅。

東日本大震災の時、最期まで逃げることを促

した若き乙女がいました。若き乙女でも凄いこ

とが出来るものだと改めて深い感銘を受けました。

 先月の「偉人に学ぶ会」ではアフリカ・ケニアの女

性を取り上げました。「もったいない」で知られたワン

ガリ・マータイさん。一九四〇年生まれ。六人兄弟、

子供でも過酷な農作業の生活が当たり前。女の子には

勉強させないという習慣。しかし兄が両親に教育を受

けさせるように説得したのでした。そこで小学校に通

い、やがて優秀なマータイさんは政府の奨励でアメリ

カに留学、ドイツにも留学し修士号を取得したのです。

 貧しいケニアの為に力になりたいと祖国に帰ったマ

ータイさんは自分がいない間の祖国の森林の荒廃に驚

きました。ケニアはイギリスからの独立後、経済発展

政策で森林を伐採(コーヒー等を育てて輸出)。そのた

め田畑は荒れ、故郷の人達の生活はよけいに貧困化、

水や燃料を集める女性達の仕事は過酷化。伐採しても

植える習慣のないケニアの人達。マータイさんはまず

自分の家に八本の木を植えることから始めました。

そして祖国の貧困や環境破壊に心を痛め、貧しい女

性達と「グリーンベルト運動」という植林活動を開始

しました。女性が活躍することを嫌った政府の厳しい

弾圧を受けながらも、十万人が参加、植えた木は五千

万本以上。この功績で、やがて海外の環境保護団体か

らの補助を受けて活動は広がり、木を植

える女性達は初めて現金を手にして喜び、

そして活動は周辺の国々に広がりました。

女性差別の厳しい、独裁政権下のケニアでのマータ

イさんの苦労は私生活でも政治活動家としても凄まじ

いものでした。独裁政権を公然と批判し、数度の逮捕

と投獄。夫からも屈辱的な扱いを受けて、離婚させら

れ、家も三人の子供も取られて無一文の宿なしに。

それでもめげずにケニアの為に活動し続けたのです。

「創造性を殺し、腐敗をはびこらせる指導者の元で

は生きていけない」とマータイさんは戦ったのです。

 市民の憩いの場である大きな公園が取り壊されて大統領

の像と大きなビルの建設の話が持ち上がった時、反対運動

をしましたが、政府の弾圧を怖れて協力する人がいなくな

りました。マータイさんは外国の要人達に手紙を書いて窮

状を訴えました。世界中から私利私欲に溺れる独裁者への

批判が高まり、とうとう政策が撤廃されました。

 また民主化を求める若者達が次々と投獄される事件には

「息子たちを自由に」と母親達がハンガーストライキを起

こし、弾圧を受けたマータイさんも重傷を負うという羽目

に、しかし女性達の息子を思う力は強くとうとう

若者達が解放され、強権政治家のモイ大統領は失脚。

二〇〇二年に国会議員に初当選。環境大臣に

任命されました。環境や人権に対する長年の貢献が評価さ

れ、〇四年にアフリカの女性として初めてノーベル平和賞

を受賞。〇九年国連平和大使としてさらに活躍。

〇五年に来日。ここで日本の「もったいない」の言葉

と精神を知り、世界中に「もったいない」を広げたのです。

 アフリカは基本的に女性が重労働をする国、男性が遊ん

でいても女性は一日中よく働く。しかしこのこつこつと木

を植え頑張る女性達の姿に男性達も刺激されて、意識を変

えて女性に協力して仕事をするようになったという事です。

 ケニアの一人の女性が国の為に、人々の幸せの為に命が

けで活動したこの姿は貧困や差別に喘ぐ世界中の女性達に

勇気を与えました。十一年、卵巣癌により七十一歳で死去。

遺言により、木材等の資源を使わない葬儀だったようです。

   🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

【時事】《みんなで考えよう国の在り方、社会の在り方》

本紹介『平和ボケお花畑を論破するリアリストの思考法』

 八月十五日、今年の終戦の日には靖国神社に参拝する閣僚

はいなかった。国を守る為に、尊い命を投げ出して戦った私

達の先人に対して国を代表して感謝し、不戦の誓いをし、よ

い国作りの覚悟をするのが政治家の使命だと私は思うのだが、

誰に、どこに忖度しているのだろうか・・・。

 そういえば、あれだけ喧しかった加計問題の報道はあまり

聞こえなくなった。あれは何が問題だったのか・・・?

 七月十日、元愛媛県知事加戸守行氏、前事務次官前川喜平

氏等を呼んでの国会質問の様子を私は病院の待合室のテレビ

でじっくりと見た。青山繁晴議員の質問、小野寺五典議員の

質問は非常に的を得て、また鋭く、分かりやすく、素晴らし

いと納得したが、加戸氏の発言にはさらに納得し感動した。

なぜ四国に獣医学部が必要か、そのために十年余りその設

置の為にどれだけ苦労しながら取り組んだか。大学設置がな

ぜこれほど難しいか、理路整然と事実を語り、窮地を訴える

姿は、日本の未来を憂う加戸氏の無私の魂の叫びのようだ。

「これでやっと政治が正される」の言葉に共感の人は多い。

 しかしその様子の報道はその後のニュースでどの局も扱わ

なかった。それについて大宅映子氏は「メディアはなぜ扱わ

ないのか」とフェアでないマスコミ報道を批判した。櫻井よ

しこ氏も「その後の報道は全局で三十時間以上あり、すべて

前川氏の発言ばかりの報道で加戸氏の発言は六分ほどしかな

かった。これは明らかにマスコミの偏向報道だ」と語った。

そこで私はもう一度ネットで国会質疑の様子、それらの報

道について調べて、まったく偏向報道だと感じた。素晴らし

い質問をしていた青山議員の映像は一度もなかったそうだ。

加戸氏のところにあらゆるマスコミが取材に来たが、産経

と読売以外はまったく扱ってくれてなかったと語っていた。

ある評論家は放送の前にどういう回答が良いかと聞くそうだ。

 さて、なぜこのように偏向報道がまかり通るのかを知るに

もってこいの本を見つけたので、それを紹介したいと思う。

『平和ボケお花畑を論破するリアリストの思考法』。著者

渡邊哲也氏(作家、経済評論家)は著書の中で語る。「これまで、

第四の権力と言われるメディアによって情報は操作されてい

た。どの情報を出して、どの情報を出さないかというのは

メディア側のさじ加減ひとつであり、いわゆる報道しない

自由によって事実上の隠蔽が行われてきた。なぜこのよう

なことが起きているかについて考えてみたい・・」

 虎視眈々と他国に侵略しようする国は日本の近辺に厳然と

存在する。さらに国内でも新たな問題が次々と起こっている。

自分の国のありようを国民一人一人がしっかり考える必要が

ある。そのためには何が問題か事実をきちんと把握しようと

するためにこの本は読みやすいのでお勧めしたい。

 


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# by nizicanvas3 | 2017-08-30 15:39 | まんりょう

平成29年 8月 378号 表 上、中の段

  〘 頼まれごとは試されごと 〙

    今月は少し変わった方を紹介します。その方は

中村文昭氏。現在伊勢市でレストラン「クロフネ

カンパニー」を経営されています。氏は(かなり以前から)

年間三百回程の講演で日本中を回っておられます。一流

企業から中高生、学校の先生、もちろん一般の方等、実

に多方面からの依頼です。「高校もまともに行かなかっ

た問題児の自分がこうして皆さんの前で講演する人生が

来るとは思いもしなかったけど、それが楽しくて有難く

てたまらない」といつも楽しそうに語られます。

県北には数回来られて、私は三回(勝北、勝山、津山)

聴講しました。最初の講演会は金曜日の六時から、値段

も少々高かったのですが、若い人達、子供連れの方々た

くさんの参加にびっくりしました。どの会場でも子供達

が熱心に聞くのにさらに驚きました。講演内容があまり

に素晴らしかったので講演収録CDを八本買いました。

 その内容はすべて自らの体験談。十九歳の時、カッコ

よさを求めて上京して働いていた時、焼き鳥屋台で偶然

の出会い(以後その人を師匠と呼ぶ)が氏の人生を変えたので

すが、師匠から「何のために生きるのか」と問いかけら

れて、師匠の話を聞いているうちに、あまりにいい加減

な自分の姿を反省し「人生をやり直そう」「この人につい

ていこう」と強い決意で弟子入りし、厳しい修行をした

のです。師匠から教えられた四原則は➀返事は〇、二秒 

②頼まれごとは試されごと ③出来ない理由を言わない

(絶対言い訳をしない)④できることからする 

この四原則は徹底していて例外なし。いつでもどこで

もこれが実行できれば人生は成功し、運が開けるのです。

 氏はそこで四年間の厳しい修行をし、二十三歳の時、

独立して故郷伊勢市でレストランを開くことを師匠から

勧められ、大成功して現在に至っているのです。

しかも障害者や引きこもりの子供達を預かって、夏は

北海道で農業、冬は石垣島で塩作りを通して彼らに生き

るすべと勇気を与えているのです。伊勢市のレストラン

ではさまざまな障害者達が生き生きと働いて、その姿か

ら「将来自分もここで働きたい」と予約されるほど。

また人生に行き詰まった人達も氏の指導により勇気と

希望を与えられているのです。さて、たくさんの話題か

ら「頼まれごとは試されごと」について紹介します。★

★氏はどんな小さなことでも頼まれたという事は自分に

見込みがあるからだ、そのことを試されているのだと師

匠から徹底的に鍛えられたといいます。

どんなに忙しくても呼ばれたら返事は0、二秒。それは

素直でなければできない、言い訳を考えたらできないこと。

たとえば夏の暑い日にジュース一本買うことを頼ま

れたとき、走って買いに行きます。汗だくになって

ジュースを買ってくる姿は頼んだ人に感謝だけでなく、

「そこまでして・・」と相手に感動を与えます。そう

した行動は「あいつは」と一目置かれ、信用され、大

切にされるのです。

そういう心で迅速に、相手を思いやって、喜んで行

動していると自分の可能性は人が見つけてくれます。

人が自分の背中をぽんと押して扉を開いてくれる。

人から頼まれたことは神様から頂いたチャンスと受け

止めていたのです。

 こうして修行して故郷に帰った時、父親からお茶を

入れて欲しいと頼まれたのです。以前は「なんで自分

が」としぶしぶどころか、逆切れ状態で行動していた

のですが、寒い外から帰った父親を喜ばせようと熱い

お茶を入れて出したのです。その姿に両親は感激して、

氏の成長を泣いて喜んでくれたと言われました。

二十四歳の時、伊勢で店を出すことを相談した時、

「やめておけ」「お前にやれっこない」「無理」「世の

中は甘くない」の否定的な言葉ばかり。「何か手伝う

ことはないか」「何かあったら相談に来い」という人

は一人もいなかった。人から相談された時は、その人

の可能性を伸ばす応援をして欲しい、の声は特に心に

強く心に残りました。まったく無一文からの店舗開店。

すべてお客様に喜んで頂く、幸せな気持ちになって

頂くことをモットーにしたお店は一度の宣伝もなく、

順調に発展して、数年で多額の借金を返しました。

嬉しい事に中村氏は歴史家の白駒さん、台湾の

リーさん、本のソムリエ清水さん(れいろう誌に掲載)

みんな仲間。日本を愛する仲間。パール

のように一つぶ一つぶが輝いて、そして

つながっている真珠の首飾り、パールチエンの関係です。


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# by nizicanvas3 | 2017-08-08 10:59 | まんりょう
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モラロジー道徳の普及を目的にしたブログ


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