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11月 381号

【先人偉人に学ぶ】〘 塙保己一 〙 

~~ヘレン・ケラーが尊敬した日本人・塙保己一~~

このタイトルで驚く人もいるでしょう。えっあの偉大な

ヘレン・ケラーとどういう関係?何をした人、いつの人?

ヘレン・ケラーは母親から「日本には幼い時失明し、しか

も点字の無い時代に努力して学問を積み、一流の学者にな

った塙保己一という人がいるのですよ」と何回も教えられ、

その人を人生の目標としたというのです。そして来日した

時、保己一の故郷の埼玉県で講演し、日本に感謝の言葉を

告げたそうです。戦前の教科書には保己一のことが載って

いましたから、みんな知っていたようです。百二十年以上

も前、アメリカの片田舎のヘレン・ケラーが塙保己一のこ

とを知ったのはその教科書の御縁です。教科書を編纂した

教育者の井沢修二、電話の発明のグラハム・ベル博士と師

弟関係にあり、しかもベルは聴覚障害教育の専門家。ヘレ

ン・ケラーを指導したあの有名なサリバン先生はベルの紹

介者ということ、なんと不思議なご縁でしょう。まさにパ

ールチェーン、きらりと光る偉大な人達の繋がりです。

 その塙保己一とは、一七四六年江戸時代の後期、今の埼

玉県本庄市に生まれ。七歳で病により失明。当時、徳川幕

府の保護のもとで盲人の為の盲人一座という学校がありま

した。保己一はそこへ入門するも生活の為に按摩や鍼を身

に着けるより学問がしたいという強い願望がありました。

師匠の雨富須賀一検校は幸いなことに保己一のことを理解

し応援してくれ彼は学問をすることが出来ました。記憶力

の良い保己一は一度聞いた話は決して忘れません。新しい

ことをどんどん吸収して学問を習得しました。機会をみつ

けて、こつこつと勉強していたのですが、その優れた才能

が認められ、当代一流の学者に師事することができ、文学、

医学律令、宗教、あらゆるジャンルを幅広く学んだのです。

 さらに体の弱かった保己一は体を丈夫にするために旅に

出ることを勧められ、父親と一緒に旅に出たのですが、行

く先で書物だけの上だけでしか知らなかったことを直に知

ることが出来、そして体も元気になってさらに学問の道に

邁進することが出来るようになったのです。また当時の大

学者の賀茂真淵にも師事することが出来たという好運者。

 さて、偉いのはここから。弟子も増え、重要な仕事の依

頼も増えてきた保己一は日本の昔からある古書や古本の保

存をして後世に伝えなければならないことに気付きました。

それから保己一は三十一歳から『群書類従』と

いう古書を集めてまとめる仕事に取り組んだのです。

散在する様々な国史、国分書の古書を集めることは容易

ではありません。平安初期にまとめられた『日本後紀』

等のように、絶対に外には出さない本もあります。

しかし後世の為にそれらを保存しておかなければなら

ないという使命感に燃えた保己一は苦労を重ねて集めま

した。集めた文献について、保己一と門人たちは原本を

綿密に調べ、厳正に校正を加えた上で印刷ができる版木

をこしらえたのです。それらも大変な苦労でした。

たくさんの書物の版木を作って書物を後世に残した仕

事は四十年もかかりましたが、途中で火事に遭い、その

版画を失うなど窮地に追い込まれることもありました。

目の見えない保己一が弟子の読む本を記憶して仕事を

進めるのですから、それはもう想像できない本当に地道

な作業です。『源平盛衰記』水戸藩の『大日本史』の校

正にも携わりました。保己一は七十六歳で亡くなるので

すが、『続群書類従』の調査研究は弟子たちに引き継が

れました。『群書類従』がなければ現在、日本歴史や文

化の解明をすることは不可能だと言われています。

 保己一には感動的なエピソードが沢山ありますが、源

氏物語の講義をしていた時、突然吹いてきた風によって

ろうそくの火が消え、大騒ぎ、その時保己一は「目が見

えるという事は不便ですね」と平然として言ったのです。

ヘレン・ケラーはその話に「目が見えない為に、晴眼者

には見えにくい心理が、かえってよく見えると感じるこ

とがある」と共感して、言われたそうです。

盲目でありながら、当世一の学者として活躍できるよう

になったのは本人の才能と努力でもありますが、多くの

人に愛され、信頼され、応援されたのは誠実でお金に潔

白な高い品性だったからです。保己一は有名な学者にな

った後も盲人学校へ貢献をしています。保己一はすべて

の人が支え合って生きていくように努めていました。

 なんと盲人が按摩などの職を得て自立する鍼の学校が

設けられ、広まったのが犬将軍と言われた徳川綱吉の時。

綱吉の鍼灸師として活躍した杉山和一の功績から始まっ

ているのです。杉山は生来不器用で盲人一座に入門して

もなかなか上達せず、見込みなしと破門された人です。

しかし和一は一念発起して研究し、現在の治療に使われ

ている方法を考案し、これが綱吉の治療に功を奏し、綱

吉に認められ、保護を受けることになったのです。

 杉山検校は多くの人に慕われ、神社に祭られるように

なりました。その杉山の精神は雨富検校へ、そして保己

一へと伝えられ、世界に誇れる日本の盲学校教育に結び

ついているのです。明治の文豪幸田露伴は塙保己一の功

績を賞賛しています。保己一がなした地味な仕事は、そ

の後の学問の発達に、多くの人達の活躍の元になってい

るのです。保己一について分かりやすい本は『奇跡の人 

塙保己一』(埼玉新聞社)。『偉人物語二』(モラロジー研究所)       

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

       

 【生活百科】 🌼花便り

《 コリウス  》

 葉の綺麗な、葉が主役の植物「コリウス」。シソ科。

種類は百もあります。さまざまな色合いの葉が庭先、

店先によく置かれている植物です。

「コリウス」実は挿し芽で簡単に増やせます。春先

にいろいろな種類の苗を買い、少し大きくなるとそ

の茎を切って植えます。どんどん増やせるのが嬉し

い。私は鉢ではなく、地に直接挿しています。

夏の終わりには夏の花が弱って寂しい花壇になりま

すが、秋物を植えるにはまだ早い。その頃には挿し

芽のコリウスが随分大きくなって見応えあります。

十月の我が家の花壇には一メートル以上大きく成長

したコリウスとパイナップルセイジ(赤い花が咲く)

がびっしりで、それは見事です。その豪華さは花に

劣らない見応えです。もちろん雑草除けになります。

九月の始めにした挿し芽も二十~三十㎝くらいに成

長して、ケイトウを処分した花壇を賑わせています。

土地さえあれば地植えをお薦め。暑い夏の水やり

の気遣いも少なくて済むので楽。冬は持たないけど。

〈コリウスの花言葉〉・かなわぬ恋。十月の花。

  🍲 食いしん坊便り

《 がんもどき 》

 今さらの話題かもしれませんが、「がんもどき」

の作り方を。もっともこれはNHKのシブ五時の放送

で知ったのですが、とても簡単で美味しいので紹介。

◎木綿豆腐 一丁・・水切りしてよく潰しを入れ

てよく混ぜる。具の野菜はネギのミジン切り、人参、

ヒジキ、紫蘇、生姜の千切り、枝豆等、単品または

数種類の組み合わせで混ぜる。

(塩、片栗故粉(大匙二)、溶き卵1/(二十五g)

長芋(三十g))、塩コショウ、粉チーズを入れる。

※卵や長芋がなくてもできる。その時は片栗粉は多

め。平べったく丸めて油で揚げる。天つゆで食べる。

 《 炊飯器で炊く簡単赤飯 》

白米一合 もち米二合(一対二を基準に)を炊飯器

で白米を炊くのと同じ要領で炊く。水は少な目にす

る。炊いた小豆とその煮汁を入れて炊くと綺麗な赤

飯になる。炊き込みも同じ要領で作れる。

     《 日持ちが良い柔らかい団子 》

団子の粉と同量の豆腐を入れてよく練る。

丸めてたっぷりのお湯でゆがす。水は入れない。

豆腐の水分で練れる。水分が多いと崩れやすい。

お汁粉に、また黄な粉団子、みたらし団子で

どうぞ、召し上がれ。   

                  

by nizicanvas3 | 2017-10-26 21:28 | まんりょう
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モラロジー道徳の普及を目的にしたブログ


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