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355号 裏 上の段

【日本再発見】    〘 親日国ポーランドの訳 〙
 ヨーロッパにあるポーランド、私達にはあまり馴染みのない国ですが、なんと大の親日国だそうです。ポーランドの名門ワルシャワ大学では日本語学科があり、入学は三十倍の倍率だそうです。そして学生達は日本について大変よく勉強しているようで、日本の学生よりよく知っているかもしれません。特に日本文化が愛されていて、俳句をスラスラと上手に詠んでいる授業風景がテレビで紹介されていました。驚くことに一般人でも日本語が話せる国民が多いとか。なんということでしょう!
 なぜ遠いポーランドで日本が愛されているかというと、ポーランド人にとって日本国は模範であったからだそうです。
というのもポーランドはドイツ、オーストリア、ソ連に囲まれてそれらの国々にたびたび侵略されています。なんと三回も領土が分割されて、国が亡ぶという悲劇を体験しているのです。
だから、アジアの小国の日本が欧米列強の侵略を許さず、無血の明治維新を果たして近代化をなしたこと、大国ロシアに日本が打ち勝った偉業はポーランド人へ感動と勇気を与えたのです。
また、日露戦争の時、日本は敵国の捕虜を優遇したのですが、特にポーランド人兵士(ロシアに強制的に戦争に駆り出されていた)を優遇しています。愛媛県松山市の捕虜収容所ではロシア人の捕虜がポーランド人を虐待することを未然に防ぐ措置をしたのですが、彼らは「日本人に恩返しをしよう」と語りあったそうです。また、先の大戦では大国を相手に毅然として戦い、敗戦後爆撃等で焼け野原になった街々の復興を手早く成し遂げ、経済大国
に成長させた日本の姿に、自由と自国への誇りの強いポーランドの人達は日本をお手本にしようという気持ちで復興に向けて頑張ったといわれています。(小国日本が欧米と戦った姿は、今まで欧米によって虐げられていた国の人たちの自主独立精神を蘇らせ、勇気づけたのです。ベトナム、インド、マレーシア等たくさんあります。日本は世界の小国のお手本になっていたのです)
現在ポーランドはEUの議長国として欧州の中でも、工業や産業が目覚ましく発展している元気な国ですが、日本企業のポーランド進出が増えています。勤勉で真面目な日本人企業、高い品質の製品は真面目なポーランド人に大変歓迎されていると言います。ポーランド人と日本人の性格はよく似ているそうです。 
 さらにもう一つポーランド人が「ポーランドの恩人」として日本に深く感謝している出来事があります。
 今から九十年前、「ポーランドの孤児を救え」というシベリアからの奇跡の救出劇があったのです。
 ポーランドは領土分割で国を喪失して以来、独立の為に戦った闘志とその家族がシベリアに流刑されていました。さらに、ロシアとドイツが戦う戦場になって、ポーランド人は国
を追われ流民となってシベリアに流れ込みました。その後、ロシア革命でシベリアにいたポーランド人はさらに 苦境に追い込まれました。その数は二十万人もいましたが、飢えと極寒に倒れ、たくさんの孤児が出て悲惨な生活を強いられました。ウラジオストック在住のポーランド人達は同胞のあまりの惨状に「せめて親を失った孤児達を救って欲しい」と世界に向かって発信しましたが、どの国からも拒否されました。その時救いの手をあげたのが日本でした。
当時、日本政府は救出要請の訴えにすぐに動きました。それは大変な費用と手間のかかることでしたが、日本赤十字社を中心にした救済活動に日本陸軍の支援を受けて、数回にわ
たって八百人もの孤児達が日本に到着したのです。
当時の日本は貧しい国でしたが、全国から支援物資が集められました。明治天皇の后の貞明皇后を初め、皇室の方々も孤児たちのために積極的に貢献されました。
飢えでやせ衰えていた孤児達は大切に保護され、看病され、数年間日本で過ごし、全員元気で祖国へ帰ることができました。シベリアでの栄養失調が祟って、流行性感冒や百日咳、
腸チフス等の病気も蔓延したのですが、人々の必死の看病で子供達は助かりました。子供達を助けるために看護に奮闘した松沢フミさん(二十三歳)が殉職したという話もあります。
 祖国に帰る時、子供達は「日本にいたい、帰りたくない」と別れを惜しんで泣いたのです。せっかく祖国に帰れた子供達でしたが、その後もポーランドの苦境は続きました。
六千人のビザ発行で有名になった杉浦千畝氏にビザ発給を元々頼んだのはポーランドでした。ロシアやドイツの執拗な攻撃に弱り抜き、敵味方と別れざるを得なかった日本とポー
ランドですが、彼らは日本人に助けられた恩を決して忘れることなく、いつも日本に恩返しをしようという気持ちで事に当たっていたといいます。ヒットラー政権下の元、お互いに
助けあったポーランド人と日本人の壮絶な美談もあります。
ポーランドは秘かに日本に重要な情報を流したり、日本の為に力を貸してくれていたのです。最も大きな功績はソ連が日本との協定を破って参戦することを知らせたことでした。
しかし、ヤルタ会談のその密約情報を政府は生かすことができず、まさかのソ連の参戦によって、たくさんの日本人がシベリアに抑留されましたが、ソ連による本土の占領は寸前
で回避され、日本の分断が免れたといわれます。それは日本にとって本当に深く感謝すべきことなのです。
その時最も活躍したのがポーランド軍参謀のリビコフスキー氏と日本の情報士官の小野寺信氏です。二人の友情はその後亡くなるまで続きました。
 二千二年、天皇皇后両陛下はポーランドを訪問されました。
その時、老齢になった三人の元孤児の方々が両陛下に拝謁され、お礼を述べられた様子は人々に深い感動を与えたのです。
このような誇りある日本人の秘話を多くの人に広めたいものです。

by nizicanvas3 | 2014-08-27 22:13 | まんりょう
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