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357号 11月 裏の中と下の段

【日本再発見】 〘 日本最初のヨーロッパ大使 〙

サンマリノ共和国」という国をご存知ですか。イタリア半島の一角にある、世界で五番目の小さな国(東京都の世田谷区程の面積、人口は三万六千人、ラテン系、イタリア語、沖縄の

人の気質に似ている穏やかで開放的)です。(四世紀頃に建国)テレビで紹介されて一番驚いたのは、その国に二人の大統領に匹敵する執政が存在するのですが、半年で交代制。それ

もくじ引きで決めるというのです。そしてそれは無報酬。政治は皆さんボランティアとか。そんな習慣は建国以来だそうですが、十三世紀に世界最初の共和国制になったのです。観

光が収入源とか。ワインが有名。日本製の品物が観光客に人気とか。自由で、民主的、しかも長い歴史伝統は大切に守る、だから他国に侵略されず続いているといいます。

『だから日本は世界から尊敬される』(小学館)という本に出会いました。なんとその本の著者はマンリオ・カデロというサンマリノ特命全権大使、駐日外交団長です。日本人以上に日本について詳しく研究されています。私達が日本の歴史伝統文化を外国人に教えられることは喜ぶべきか、恥ずべきか・・・です。敬虔なクリスチャンでありながら、神道への傾倒も強い。なんと今年の六月サンマリノ共和国にヨーロッパ初の日本の神社本庁公認の神社が建立されたのです。神社の建材や灯篭などすべて伊勢市で作られたもので、日本からの宮大工と現地の職人と力を合わせて建立されたそうです。

「世界が憧憬のまなざしを向ける日本の伝統文化に自信をもちなさい」「なぜ日本人は日本の魅力を知らないのか」と提言されています。さらに「靖国問題」を憂い、そして次の話を紹介されています。靖国神社がGHQによって焼き払われ、ドックレース場にされようとした時がありました。その時、キリスト教の神父達は「いかなる国もその国に殉じた兵士に対して、敬意を表す権利と義務があり、それは戦勝国、敗戦国問わず平等である。もしアメリカが靖国神社を消却したなら、米国陸軍の歴史に永遠に消すことができない汚点を刻むことになる」と靖国神社存続に尽力してくれた話です。

 日本への温かい眼差しで書かれたこの本は大変読みやすい分かりやすい内容ですが、ここでは氏が本書で私達に教えてくれた伊藤マンショについてふれてみたいと思います。

 今年の三月に「十六世紀にローマに派遣した天正遣欧少年使節を務めた伊東マンショ(本名は祐益・満所とも書く)のものと思われる肖像画がイタリアで見つかった」と発表があった

のです。日本ではこの事が話題になっていたでしょうか?

豊後(大分県)の大友氏領内にいた伊東マンショは戦国の動乱に巻き込まれて、厳しく貧しい少年時代を送っていました。やがて彼は大友宗麟の築いた府内の町でキリスト教に出合い、その教えの素晴らしさに感動して洗礼を受けます。🌺

🌺その縁で猛勉強をするようになったマンショは、四人の少年使節の一人として選ばれました。四人とも十三、四歳の少年です。彼らは東シナ海、南シナ海、インド洋、大西洋を

三百トン程度の木製のナウ号という帆船で厳しい渡航の日々を過ごしたのです。二年半をかけての命がけの航海で、最初に到着したのがポルトガルのリスボン。そしてイタリアへと進んだのですが、その行動の記録はきちんと残っていて彼らはどこでも大歓迎を受けました。なぜなら初めての日本人のすべてが興味深いものだったからです。字の読めない人が多かった当時、マンショ達がラテン語に精通していることに驚き、さらに尊敬の念を持たれていたようです。しかも彼らの誇り高き侍の振る舞いはさらに評判を高くしました。資料には「思慮深い話し方、優雅でつつしみ深く、列席者を満足させた」と記録されていますから、相当に注目されていたようです。だから各地で絵に描かれたり、記録されたりしていたということです。日本では一武士の子達が国賓級の歓迎を受けたという事です。彼らは日本初のヨーロッパ大使ということになります。

ローマのバチカン宮殿ではローマ教皇に拝謁していますが、カトリック教徒にとってトップ中のトップに拝謁できるという事は稀なことでした。三年もかけて命懸けでローマ教皇に会いに来た少年たちの姿に感動した出来事は、教皇にとつても非常なるメリットをもたらしたのです。実は当時、クリスチャンは異教徒に対して随分ひどい人権侵害を成し、ローマ教皇のイメージがかなり揺らいでいたのです。そこにはるばる遠方から立派な使節団が訪ねてきたということで、教皇の存在が再び確固たるものになったということです。

 大切なことは、この旅でマンショ達はヨーロッパの最新の文明に触れ、火薬、印刷技術、羅針盤等を日本に持ち帰っています。人類史上画期的な発明発見の時代に立ち会った稀有

な少年達はよく勉強して、いろいろな情報を日本に持ち帰たのです。なんと、それまで東アジアからは誰もヨーロッパを訪ねていないのです。それだけでも日本人はガッツと探求心と信仰力が凄いと著者は日本人に対して大絶賛です。

 さらに驚く報告は、マンショ達よりさらに三十年前、単身ローマにたどり着いて、ローマ教皇パウルス四世に拝謁した鹿児島のベルナルド(日本名不明)がいました。日本に最初にキリスト教の布教活動に来たザビエルによって洗礼を受け、ザビエルの布教活動を支えたといわれる人です。たった一人で長旅をしてローマにたどり着いた強靭な精神の持ち主に著者は感動していますが、まさしく日本人は凄かったようです。

現在、日南市の駅前には勇敢で敬虔な生き方をしたマンショの像が立って尊敬されています。少年であっても聡明で品位と自信をもって大使の役割を果たした日本人がいたのです。



by nizicanvas3 | 2014-11-01 15:10 | まんりょう
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