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平成29年 4月号 №374 表面

〘第三十四回 女性部総会・私のつぶやきの集い〙
 三月十日、平成二十八年度の総会、私のつぶやきを開
催しました。今年の「私のつぶやき」は福田よしえさん
と松下ひとみさんの二人。
そして昨年亡くなられた毛利隆保さんの娘さんに「父
の思い出」を話して頂き、毛利さんの作詞「感謝のメガ
ネ」をみんなで合唱して毛利さんの追悼を行いました。
私達は毛利さんにご指導を頂いた言わば教え子。天国
の毛利さんにたくさんの感謝を届けたいと歌いました。
 また、今年の総会のゲストは広島安佐事務所の中村光
子社会教育講師。明るく楽しいお話に感動しました。
そして恒例のチャリティーバザーや持ち寄りランチパー
ティー。美味しい食べ物がたくさん集まり、豪華なバイ
キング。ウクレレ、墨絵、ヨガ等のサークルの一年間の
成果も披露しました。
 中村講師のお話を少し紹介します。中村講師は十年前
御主人を亡くされてから、時間に余裕が出来て(というこ
と)モラロジーを熱心に学び始めたという比較的モラロジ
ー歴の浅い方ですが、とても素直な方で、どんどんと教
えを吸収して講師になられた方です。
 何事も謙虚に、低く温かい心になる、プラス発想で明
るく過ごすことを心掛けていると言われていました。
 人の良いところを見つけて褒めるように心がけている
と、お嫁さんが自分の母親に「いつもお義母さんから褒
められている」と伝えたそうです。そこで、お嫁さんの
お母さんもそのことに感化され、実行しているうちに、
そちらの嫁姑関係がとてもよくなったという話でした。
日頃からニューモラルの本もさりげなく差し上げて、
ニューモラルの仲間がだんだん増えてきたそうです。
 そんな楽しい日常の話に加えて、戦争中のパラオと日
本人の感動的な友情物語の秘話を紹介されました。
パラオのペリリュー島には日本軍の陣地が作られてい
ましたが、現地の人と日本軍は大変仲良く交流していま
した。しかし、アメリカ軍によって包囲され、いよいよ
激戦になるとき、島の人達は自分達も一緒に戦いたいと
申し出たのですが、日本軍はそれを断り、島の人達全員
を島から追い出しました。島の人達は今までの親切は嘘
だったかとがっかりしながら島を離れようとしたとき、
日本軍全員が海岸に出てきて手を振って島の人達を涙な
がらに見送ったのです。島の人達を巻き添えにしてはい
けないという日本軍の配慮でした。
戦争が終わり、島へ帰ってみると日本軍は全滅。
島民達は遺体に涙して、丁寧に埋葬したのでした。
パラオの国の人達は日本人の勤勉さ、勇気と祖国愛と
礼儀正しさ、優しさに敬意を払い、自分の国の国旗を
日の丸に似せて「青い海と月」の国旗にしました。
昨年、パラオの国に両陛下が慰霊に行かれました。そ
れは昭和天皇の果せなかった悲願でした。パラオの人
達から大歓迎されました。
めったに聞くことのない日本軍人の素晴らしい秘話
に涙しつつ聞かせていただきました。
 総会は一年の締めくくりです。また一年の日々を
大切に有意義に、日々励みましょう。

  〘 受け入れる 受け止める 〙
私は今年ほど春が待ち遠しいと思った
ことはありません。「春よ来い、早く来い、
歩き始めたミーちゃんが・・」という歌の
心境で、寒い冬を炬燵にもぐって籠る事の
多い日々でした。
というのも、私は新年早々の寒い日、アキレス腱を切
るという失態、笑うに笑えない、泣くに泣けない事態を
引き起こしてしまったのです。切った足が右だったので
車の運転もできず、まさに足止め状態。そうは言っても
外出は不可欠、二か月間、家族や仲間の人達に乗せても
らって外出する(最低限で)という状態でした。これほど
多くの方に助けて頂いての生活は初めて。大変にお世話
になり、有難い事でした。せめてもの不幸中の幸いは寒
い冬の時期だったこと。それが動けない私の慰めでした。
 高齢者の運転事故が多く、免許返上の問題が現実化し
てきましたが、津山の地で暮らすに運転できないのは、
困ったことだとその現実を受け入れ難く思っていた所、
なんと私は早々とその体験をしてしまったのです。
これは九十二歳の母の生活に近い。ずっーと活動的に
生きてきた母が味わっている事を私も体験したのでした。
 事故というものは一瞬。後から思えば反省点は多い。
よくよく考えればなるべくして起こったと言えることが
多く、不注意、油断が引き起こした事だと思うのです。
それにしても、首と腰の狭窄症手術でやっと元気に動
けるようになった私が、一時と言えどまた動けない生活
に逆戻り。バランスを欠く動きで再び足腰の痛みを味わ
う生活。新年を迎えてさあこれから、という時に出鼻を
くじかれたこの事態をどう受け止めたらよいのか。ここ
で何を学べばいいのかと自問自答。「いまさらもう仕方
ない、前向きになるしかない」と居直ったりもしました。
白駒妃登美さんの講演で境野勝悟氏の話を聞きました。
~日本人には「受けて立つ」という生き方がある。日本
人は「受け入れる」というのでなく、人生に何が起こっ
ても「受けて立つ」という気概を持ち、何が起ころうと
大丈夫なように自分を磨き上げてきた。受動の中に究極
の能動がある生き方をもっている」、そして白駒さんは
「非常事態は自分を目覚めさせてくれるきっかけとなる。
受け入れる、受けて立つ、どちらに転んでも最高無敵な
生き方ではないでしょうか」と語っていました。
日頃から、先人偉人の生き方を研究している私は彼ら
の生き方の中にその気概が漲っていることを思いました。
人生の途上にあるまさかの坂、必然に起こる生老病死。
それらを受け止めるだけでなく、「受けて立つ」それは
まさに「恩寵的試練」の受け止め方。気概をもって、前
向きに積極的に人生を切り開く受け止め方です。
動けない今はエネルギーを蓄える時か、しかし七十歳
を迎える私にそれほどの仕事が残っているわけではない
けど、生き方のチェンジをする時かもしれない。もはや、
打って出るのではなく、ていねいに物事に取り組み、ゆ
ったりと生きる覚悟が必要なのかもしれないと思ったり、
いや!残りの人生を世の中に役に立てて、積極的に命を
輝かしたいと思う私には、受けて立つ気概がまだ必要だ
ということかもしれない、とあれこれ考える時間でした。
 ところで、心理学者の多胡輝氏が認知症にならない生
活の仕方として「きょういく、きょうようが大切」と話
されていたそうです。しかし、それは「教育、教養」で
はなくて「今日行、今日用」、今日行くところがある。
今日用があるという生活です。なるほど誠に的を得た話。
 健康寿命で元気に生きるためには、やはり日頃から体、
脳、心を鍛えて、まさに「受けて立つ」気概をもって
しゃきっと生きることが必要なことのようです。
※境野勝悟氏(哲学者・思想家『日本のこころの教育』は有名。

by nizicanvas3 | 2017-03-27 21:02 | まんりょう
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モラロジー道徳の普及を目的にしたブログ


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