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六月号 №400 裏面

【歴史偉人に学ぶ】  〘 女帝 〙

令和の時代を迎えました。何も変わらないのに何か大きく

変わる期待感の報道に引っ張られる気がします。良き時代に

なるように祈る思いですが、災難も事件も辛いことが何もな

い時代は決してありません。だからそのことを受け止めて、

それでもよきものを目指して、前向きに生きなきゃと思いま

す。令和の時代、一番大切にしなければいけない事は知足

精神。感謝報恩の精神。自分に人に物に、自然に、

地球に優しい慈愛の精神だと思います。

まず徳川家康の遺訓の言葉を紹介します。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 

急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、

心に望みおこらば困窮したるときを思うべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くることを知らざれば

害その身に至る。己を攻めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 さあ、ここから本題「女帝」に入ります。

 新天皇をお迎えして、すぐに次の天皇、皇位継承の話が盛

り上がっています。もちろんその道筋を立てておくことは必

要です。再び女性天皇の声も上がってきています。しかしな

かなか大変でしょう。例えば愛子様が皇位継承一位に上がる

と、愛子様のパートナー選びはどうでしょうか?

 日本では今まで十人の女帝がいます。そのうち六人の女帝

は古代です。またそのうち二人の方が重祚(二回)されていま

す。古代の女帝時代は八代。残りの二代が江戸時代です。

 今回はそのことをお知らせしたいと思います。まず、女帝

ではないのですが、女帝程の力があった妃が二人います。

四世紀の十四代仲哀天皇(ヤマトタケルノミコトの息子)の皇后の

神功皇后(ジングウ)。夫亡き後、住吉の神の神託を受けて朝鮮

半島に遠征し、三韓と呼ばれた三つの国を従えた勇猛果敢な

女性です。もう一人が十九代允恭天皇の皇后・忍坂大中姫命

(オシサカオオナカツヒメノミコト)です。古代では大王が軍事を

妃が祭祀を担当していて、共に政治に当たっていて、大王が

病気、死亡で差し障りが出来た時、王妃自らが国を動かす力

があったようです。日本ではこうして女帝の誕生が自然に出

来上がっていったということです。(天皇という名称は天武天

皇時代から。それまでは大王(オオキミ)と言われていた)

当時の女帝は次の正式な大王が即位するまでの中継ぎの役

割でしたが、女性でも大王としての実力が十分のある女性で、

誰もが異存の無い存在の女性が選ばれました。当時は三十歳

過ぎまで天皇に就くことが出来なかったので、しっかりした

中継ぎとなる女性が必要だったのです。

 さて、最初に女帝となった方が推古天皇。六世紀末。

蘇我氏の出身で敏達天皇の妃であった炊屋姫(カシヤヒメ)

は敏達崩御の後、蘇我馬子と図って自分の兄の用明天皇

即位させました。用明天皇崩御後、中継ぎとして炊屋姫が

即位し三十三代推古天皇。推古天皇は聡明で人格者の聖徳太

(用明天皇の息子)を摂政としてしっかり国を治めました。

 次に女帝が誕生したのが、三十四代舒明天皇(敏達の息子)

皇后の三十五代皇極天皇(天智、天武の母)。夫の舒明崩御後

即位。息子の中大兄皇子が宮中で入鹿を殺して御殿を血で

穢したことの責任から退位して(乙巳の乱)。義理の弟の

徳天皇(この時より元号が始まる)に皇位を譲ったのですが、

孝徳の崩御後再度即位し三十八代斉明天皇。しかし新羅との

戦いの応援に出て九州で死亡。(このあたり前号で掲載)

 その後、皇極(斉明)の二人の息子が即位。三十九代天智天

四十代天武天皇です。天武亡き後、天武の后の四十一代

持統天皇(天智の娘)が即位して天武天皇の意志を継承。

その後天武の孫四十二代文武天皇が即位。文武崩御後、文

武の母親が四十三代元明天皇(天智の娘で持統の妹)が即位。

元明の後はその娘四十四代元正天皇が即位。と大変入り組ん

だ即位が続いたのです。その後は文武天皇の息子の四十五代

聖武天皇。しかし病気がちで娘の安倍四十六代孝謙天皇に早々

と譲位。孝謙の母は光明皇后(不比等の娘)。後に母の光明子

が病気の為に一度退位。光明子亡き後再び即位四十八代称徳

天皇に。藤原氏の血を引く女傑の母娘は、藤原氏の後ろ盾

を得て絶大な権力をもって采配していました。

実は聖武天皇の母も藤原家の娘。藤原氏は中大兄皇子(

の天智天皇)と共に乙巳の乱で蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足(

の藤原鎌足)の息子です。藤原氏は平城、平安時代に全盛期、

娘を皇室に送り出して大臣の地位で権力を得ていたのです。

『キサキの大仏』(奥山景布子著)という小説があります。

事実に基づいたフィクションですが、聖武天皇を支え大仏建

立に寄与し、夫の譲位後娘を天皇(称徳)に立て、その後ろ盾

で政権を支配していた光明皇后の事がよく分かる本です。

古代の女帝は優れた方々ではありましたが、出身の背後に蘇

我氏や藤原氏の強い存在があったのです。

 その後江戸時代まで女帝が出なかったのは天皇の外戚とし

て要職を務めた藤原氏の存在や武士権力の台頭で女帝は必要

とされなかったのです。江戸時代初めに徳川秀忠の娘和子と

後水尾天皇の間に生まれた百九代明正天皇(八歳)が即位。これ

はまさに幕府と天皇家の争いが原因(紫衣事件)です。その後、

江戸後半中継ぎとして選ばれたのが一一七代後桜町天皇

彼女は皇位継承断絶の危機に光格天皇を選んだのですが、

光格天皇に帝王学を教えた賢人といわれています。

明治天皇は光格天皇の孫。今回の天皇の譲位は光格天皇

以来二百年ぶりです。参考『女帝の国、日本』(武光誠著)等。

🌼🌼🌼🌼🌼

新聞には女帝の系図をいれました。

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新聞には聖武天皇と光明皇后の筆跡と診断をいれました

   ★★★★★★★★★★★★★★

【花便り】 〘 ルピナス 〙

 今年の女性部総会ではルピナスの花をテーブルに

飾りました。藤の花を逆さにしたような面白い形の

花です。なんと土に移すと二ヶ月以上も持ちました。

しかも脇から芽が出て成長。次々と花が咲くのです。

北海道ではルピナスが雑草のように咲いています。

色は赤、黄、白、紫、ピンク。まるで色とりどりの

ロウソクが並んでいるような面白い光景です。

宿年草ですが、暑さに弱いのでほとんど一年草。そ

れでも次々と新しく枝が伸びて花が咲くのでとても

楽しめます。苗も安く、手間いらずの花です。

来年はもっとたくさん植えてみようと楽しみです。

花言葉は「想像力」「いつも幸せ」

「貪欲」「あなたは私の安らぎ」



by nizicanvas3 | 2019-05-31 21:06 | まんりょう
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モラロジー道徳の普及を目的にしたブログ


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