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4月号 №410 裏面

【歴史偉人】 〘 難民救済の母・緒方貞子さん 〙

 昨年緒方貞子さんが亡くなられました。国連難民高等弁務官

として難民を守るために、危険と隣り合わせの現地で体を張っ

て働く緒方さんのその姿は「小さな巨人」「かつての国際社会

でただ一人世界に認められた外交官」と讃えられました。

国連難民高等弁務官として緒方さんはそれまでなかった独自

の方法で難民救済の母となって世界中の困窮と戦ってきました。

「日本にこれほど世界から評価された華麗なる国際人がいるこ

とは誇り高い。彼女の徹底した現場主義や人類愛をもって国際

世論を動かす理論、先例に囚われない柔軟性が国連での業績に

つながった。彼女にとって重要なのは権威ではなく、自らの信

念と理想に忠実に動ける場だった」と『緒方貞子という生き方』

の著者黒田龍彦氏はその本で書いていますが、これらの言葉で

緒方さんの生き方、働き方、人なりのすべてが語られていると

思います。緒方さんは元小泉首相を初め、政界の方々から

「大臣に迎えたかった」という話もあったそうです。

今月はそんな緒方さんの姿を追ってみたいと思います。

〈 緒方貞子さんの経歴 〉

一九二七年生まれ。曾祖父は犬養毅。父親は外交官で世界各

  地で暮らす経験をもつ。聖心女子大学を卒業後アメリカ

  の大学に留学し国際政治学を学び、数々の博士業を取る。

国際基督教大学准教授。結婚(三十三歳)、二人の子供の母

となるも研究生活継続。

一九六八年 市川房江さんに推薦されて国連総会の日本代表

団に参加(四十一歳)国連にかかわった最初の仕事となる。 

一九七六年 四十九歳 日本初の国連公使    

 七八年 国連特命全権大使 ユニセフ理事会議長

  七九年 上智大学教授。 母親の介護に尽くす。

一九九一年(十年間) 六十四歳 国連難民高等弁務官

   アフガニスタン難民救済、復興支援総理特別代表

   人間の安全保障委員会共同議長。数々の業務に就く。

二〇〇三年から十二年 JICA(独立行政法人国際協力機構)

理事長。退任後も特別フェロー、名誉顧問として国内外

で活躍。      二〇十九年 没 享年九十二歳 

 

緒方さんは外交官一族という名門に生まれ、学問への強

い関心を持って研究に邁進されました。特に父親から勉強

することを薦められました。緒方さんは夫の理解と協力

(夫の先祖は緒方洪庵)という大変恵まれた人でしたが、自

分の研究や仕事は二の次にして、夫の転勤や海外赴任にも

ついていき、妻としてよく貢献されています。思いやり、

助け合っての仲の良い夫婦、まさに理想の夫婦だったそう

です。最初に国連代表団に参加依頼の話の時子供を置いて

いくことの決心がつかなかったのですが★★

★★夫の十四朗氏から「後は大丈夫だから」、父親から

も「迷っても結論は出ないからまずは決めて、それから

問題点は何かを考えるように」と言われて国連参加を決

心されたということです。

「女は人生が長い」とスイスに単身赴任したのが六十三

歳。「子育てを終わって六十歳からの出発」「女冥利につ

きる仕事に挑戦した六十三歳から出発」と語られるよう

に、緒方さんの華々しい舞台はいわゆる老年期に入って

から。普通はもう年ですからとしり込みする時期です。

もちろんそれまで積み上げた実績があったから選ばれたの

ですが、それでも国連難民高等弁務官とは大変な仕事です。

決して憧れるほどの綺麗な仕事ではなく、苦労多い大変な

仕事なのに果敢に挑む姿は凛々しく、尊敬すべき姿!

「世界中にこんなに難民が多いとは、難民をつくり出す状

況がこんなに多いとは」と戸惑うことが多い現実でしたが、

弱音を吐かず、笑顔を絶やさず、明るく、冷静に、聡明に

次々と行動を起こしたのです。

一つ目の難問は湾岸戦争によるクルド難民。百八十万人

というこれまで世界が経験したことがない大量難民。国内

でフセインに迫害され、トルコにも脱出できない難民をど

うして助けるか!緒方さんはこれまでの慣例を破って、イ

ラク国内の安全なところで難民を保護するという前例のな

い決断をしました。前例はないけど「難民を保護し、生命

の安全を確保する」という使命を守ったのです。難民救済

の新しい取り組みを作ったことでまさに難民救済の母!

難民支援は各国の支援や民間の募金支援で成り立ってい

ます。その支援を呼びかけるのも緒方さんの仕事でした。

支援物資を届けると言うのも大変な難事業です。途中それ

を狙う人達がたくさんいるのです。難民キャンプの治安維

持も大変な事です。特にルワンダ難民には虐殺した人が難

民キャンプに難民として入っています。罪のない難民を人

間の盾として自らの身を守るルワンダ難民のずる賢いやり

方にも緒方さんは敢然と立ち向かいました。

 また、カンボジア難民救済の時には粋な計らいをして喜

ばれています。カンボジアの人達は犬を大切にしています。

だから犬は家族とまったく同様に大切なのです。二万匹の

犬が入ってくるのを許可したのです。心を癒す動物の存在

を認め、多くの人に喜ばれ、彼らを勇気づけたのです。

このような活躍でそれまであまり知られていなかった国連

難民高等弁務官事務所(UNHCR)を有名にしたのは緒方貞

子さんその人です。命がけで難民救済という大仕事をされ

たのですが、その後も紛争の中を逃げ惑う無残な難民が驚

異的に増えていることを、無念の思いでその様子を見守っ

ておられたことでしょう。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★

『私が日本に住み続ける十五の理由』

          ケント・ギルバート著

第一  日本人が不思議な親切心を持っているから

第二  将来的に世界の文化の中心になる国だから

第三  世界に誇る多様なエンタメがあるから

第四  アメリカが失った自由があるから

第五  間違いなく世界一の食があるから

第六  都会の近くに海と山の美しい自然があるから

第七  世界が誇れる歴史的遺産があるから

第八  天皇を中心にした国体があるから

第九  日本人が世界一の道徳心を持っているから

第十  子どもが一人で電車に乗れるほど治安が良い

第十一 貧富の差が極端に少ない社会だから   から

第十二 アメリカが失った公の精神があるから

第十三 宗教のしがらみがないから

第十四 バラエティに富む安心の住環境があるから

第十五 外国人にもチャンスをくれる国だから

 右記の項目が日本で暮らして五十年のケント氏が上げ

た日本に暮らしたい十五の理由ですが、読んでいてなん

だか恥ずかしくなるような記述も。なるほどかつての日

本はそうだったけど、いまや・・と不安になる部分もあ

ります。ケント氏以外にも日本を愛する多くの外国の方

は同じような考えをもっているといわれています。また

ケント氏にそう書かれると「なるほど」と改めて我が国

の素晴らしさ、恵まれている事を知りました。

 ケントさんは法律家ですが、元々宣教師の役割で二年

間の義務として日本に派遣されたのですが、そのまま日

本に居ついています。ケントさんや知人達は「私が日本

にまだいる役割は、日本人が気づいていない事を日本人

に知らせる事」というのも日本にいる外国の特派員に

は偏ったイデオロギーで日本を貶める反日情報を国外に

発信、特に歴史問題の日本糾弾活動は凄まじく、このま

ほっておけないと活動しているのですが、その御蔭で

反日思想のジャパンタイムズの体質を変えることに貢献

できたそうです。「もう少し日本の為に役に立ちたい」

と語られています。なんと有難い事でしょう。

それにしても多民族国家、多様な考えのアメリカは私

達が憧れるような開拓者精神、自由平等愛国心の国とは

いえない状態であると書いています。それも間違った権

利主張、個人主義、道徳心低下によるものです。

国会も日本と同じように足の引っ張り合い、さらに悪

い事に与党の力が弱く、決められない法案は裁判所に依

頼することで、三権分立が取れていないこともあるとい

います。アメリカも大変な国だと分かりました。



by nizicanvas3 | 2020-03-24 21:54 | まんりょう
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