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まんりょう9月号 一面の記事 より

  『ブッダの母、麻耶夫人 愛で育む子育てのすすめ』
            益田晴代著 講談社 ¥一四00
 増田晴代氏は「母の愛」の偉大性に気づかれてその研究をされていました。そして聖人といわれる人を産み育てられた母親がどういう人であったかに強い関心をもつようになりました。
その代表としてお釈迦様の母親について調べに、何回も何回もインドやネパールなどに行かれ、「ブッダの母、麻耶夫人」を著作されています。素晴らしい子供を育てるには素晴らしい母親がいるということの最も分かりやすい見本をあらわすことが大切だと思われたのです。
★ブッダはネパールで誕生。釈迦族の浄飯王とその妃マーヤーの間に生まれた。母麻耶夫人(マーヤー)はとても美人で聡明で、心の美しい天使のような人であった。国民を大切に慈しんで過ごされた。結婚する前に九ヶ月の瞑想生活をされ、自分の使命~母親になって子供をりっぱに育てること~を悟られて結婚した。ブッダを懐妊したとき白い像が出て自分のお腹に入った夢をみた話は有名である。
麻耶夫人は妊娠中胎児に話しかけ、祈り、人々に尽くされた理想的な胎児期のかかわりをもってブッダを産んだといわれている。まさに素晴らしい胎教である。しかしブッダを産んで七日目に亡くなり、母の妹であるパティ夫人に育てられた。
パティー婦人には自分にも乳飲み子がいたが、母のいないブッダを可愛そうに思い、自分の子は乳母に預けて、ブッダを大切に、大切に育てられた。ブッダは二人の慈しみ深い素晴らしい母親に育てられたのである。
 だからこそあのような聖人といわれた偉大な人間が誕生したのではないか。ブッダは育ての親のパティー夫人に対して大変感謝し、愛し、孝養を尽くされた。しかし、産みの母への思慕の念も強く、それがブッダの人生観を形成したのではないか。自分の母はなぜ死んだのか、他の人の母は生きているのに。そのことがブッダをして「生老病死」の原理を説き明かす原動力となったのではないか。だとしたら麻耶夫人があのまま健康で生きてブツダを育てていたら「仏教」は存在しなかったのでは
ないかと思う。★★★
 益田氏は長年のブッダの母の研究から「ブッダと二人の母の姿から改めて母と子の通い合う心の波長こそ、心を育てる源であることを教えられた。改めて女性自身に与えられた命の育みへの誕生と使命とそして乳幼児へのかかわりの深さを考えさせられる」と結ばれている。熱心な仏教徒であった姑はいつもいやになるほど「お経のもつ威力を話されていました。子供が病気になったときも、家族が病気になったとき、・・・いつもお経を唱えると御利益があったと。今はそんな姑の教えをいただ
いたことに感謝していると書かれているのも面白い。★★★
 「理想の母親探しの旅」は道なき道、通信も不便な地域を手探りで、長い年月をかけて行う益田さんの情熱がにじみ出ている本、読み終えて深い感動が込上げてくる本です。

by nizicanvas3 | 2008-09-01 00:13 | まんりょう
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